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【週報巻頭言】2022年4月3日 人の子として来られた方(マルコ14章53~65節)

イエスさまが捕らえられ、尋問を受けている場面です。大祭司がイエスさまに尋ねています。

そこで、大祭司は立ち上がり、真ん中に進み出て、イエスに尋ねた。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」しかし、イエスは黙り続け何もお答えにならなかった。そこで、重ねて大祭司は尋ね、「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言った。イエスは言われた。「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に囲まれて来るのを見る。」(マルコ14章60~62節)

イエスさまはこれまでの証言については、何もお答えになりませんでした。それが偽証、偽りの証言であったことが分かっていたからでしょう。しかし、大祭司から、「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と尋ねられた時、初めて口を開き、このようにお答えになりました。「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に囲まれて来るのを見る」。

大祭司の尋ねたこと、それは、「ほむべき方の子、メシアなのか」ということでした。これは、あなたが神の子であるメシア、救い主なのか?という問いでした。このことに対して、主は「そうです」とはっきりお答えになりました。そして、「あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に囲まれて来るのを見る」と言われました。

イエスさまが言われたこと、それは人の子、これはイエスさまご自身のことです。イエスさまは神の子でありながら、人としてこの世においでになりました。そのことを「人の子」と言うのです。フィリピの信徒への手紙に、神でありながら人として来られたイエスさまのことが書かれています。

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。(フィリピ2章6~8節)

人の子としてこの世に来られ、私たちのために十字架にかけられ、死なれた方は三日目に復活され、そして、終わりの日、神さまの救いの完成の日に、再びおいでになるのです。イエスさまは、あなたがたはそのことを見るだろう、と言われたのです。主を待ち望みましょう。

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